女将の心 「2001年 春」

 私の家の三匹の猫のお話です。一匹はおじいさん(私の父)のアニマルコンパニオンです。父が出かけている時だけ、私のところへ擦り寄ってきます。もう、12年くらいは一緒に生活していますので、年寄りの猫のほうです。若いときはアイドルペットでした。今でも宿屋の猫だということを認識しているのか、メス猫ですがとても人なつっこく。「チイちゃん元気だったかしら」そんな声が聞こえると、足早に駆け寄ってきます。得意げに、すりよりじゃれ付き。もう大変です。誰のひざでも入ろうとします。

 どこで生れたのか、定かでは有りませんが母が生きていた頃のことですから。マグカップ程の小さくて、体中泥んこで。目も泥でつぶれかかっていました。縁の下の薄暗い片隅で、か細い声でないていました。猫が大嫌いな父に隠れて、私と母は内緒でせっせとえさを運びつづけたのですが、それでもいつの日か、父に見つかってしまいました。母は観念したように畳にきちんと手をついて「貴方一生のお願いがあります。」と切り出しました。たじろいだ父は「何事だ」とおたおたしましたが、母いわく。「どうかこの子を、私の産んだ三人目の子だと思ってかわいがってほしい」と頼んだのです。あまりの勢いに、父は目を白黒して、しぶしぶ「ウン」といわざるを得なくなって。それからチビコのばら色の猫生が始まりました。

 やがてそんな母も病に倒れ、「貴方。チビコをたのみますね。」と言い残して世を去りました。それからというもの父はチビコを片時も離さず。毎日楽しそうに、何やら話し掛けたり。ベッドを共にして、一人と一匹は仲良く暮らしています。今では母の残した財産だと父は言います。父にとって本当のこころの友なのです。

 私の宿屋は、ご承知の通りペットの泊まれる旅館です。あくまでもお客様のペットが中心ですから、宿の飼い猫が、ゲストの小さな犬をおびえさすような事は困ります。だから私は「宿屋の営業時間はだめ!」といいます。すると彼女は、しゃがれた声で「アーン。誰も相手にしてくれなくてつまんないよー。」とでも言うようなしぐさで、すごすごと母屋に帰っていきます。ちょっぴり、かわいそうな気もしますが、お仕事の自覚はしているようです。「おじいさんとおまえは、隠居所におとなしく暮らしていればいいのだよ。いつまでも生きていると、悲しい思いをするから。せめておまえは、俺よりは早く天国へ行けよ。」私は影で聞いていて、なにやら胸に感じるものも有りますが。それはさておき。父なりの愛情表現でしょう。年取った者同士が寄り添って暮らしているのです。父は「チビコは重いので、年寄りには抱えきれない」と言って、肩に乗せて歩いていきます。まるで幼児を肩車するように。もし父に、母の残したチビコがいなかったら、今のように元気な父は存在してないのではとすら思います。

 私は日常の仕事に忙しく追われる立場なので、78歳になる老人。ひまを持て余している父の「世の中難しいことばかりで、年寄りには住みづらい」等という愚痴を、毎日聞かなければ成らないのかと思うと。チビコ様様バンザーイ。「どうかどうか長生きして、父の相手になっててほしい」と願うばかりです。私は捨て犬だった子犬に「ポチ」という、我家における歴代の犬の名を襲名させ、13年ほど飼っていました。去年の夏にこの世を去りまして、今しばらくはポチの席は空席です。心の中にふん切りがついたら、また新しい出会いがあるでしょう。

ミーコ 動物の命は、どんなに可愛がっていても寿命があります。その前の年には、シャムネコの「シロ」を亡くしました。長い間、私と共に生きた猫。宿屋の玄関前の道路で、交通事故でした。私は足がすくみました。「まさか!シロでは」それはそれは、悲しくて。死んだ猫にしがみついて泣き崩れました。箱の中をお花で飾ってシロを横たえ。涙を拭いては思い出にふけり、ただ呆然と何をするにも力が入りません。「シロ」のお墓を作ってあげても。ペットロスの世界から抜け出せない私がいました。宿屋の仕事どころではありません。主人はそんな私を見て「俺が死んでも、それだけ悲しんではくれまい。」と言わんばかりの、すねた目をして眺めているようでした。そんな日がしばらく過ぎ去り、ようやく私も元気を取り戻した頃。主人が高山市の大きなホテルの前で、捨て猫を拾ってきました。

 「大ホテルではないけれど、山里のちっちゃな宿屋だけど。これも何かの縁だ。おまえ。今日からお母さんの子になれ。」その夜、私が仕事を終え、自室に戻ると。小さな小さな手のひらに乗るような子猫が、ふるえてうずくまっているでは有りませんか。白黒の雑種の日本猫。つぶらな目をした、パンダそっくりのひょうきんな顔。もう私は、お産のときのお産婆さん同様。猫のトイレを引っ張り出してきたり、手足を拭いたり。ミルクを温めたり。てきぱき準備してその夜は夜更けまで大騒ぎです。

 今では、大きくなって4キロも有ります。ひところは20グラム増えた。100グラム増えたと、主人と私とでミーコの奪い合いでした。部屋の中だけで育てましたので、たまに散歩に行くときは長い5メートルも有るような紐をつけて。だから人嫌いの自由奔放な猫に育ってしまいました。人を見ると大騒ぎで、おびえて泣き叫びます。だから彼女では、到底。宿屋の招き猫には、なれそうも有りません。

 平成十二年の秋口、私どもの宿にお泊りになったお客様から、その夜のうちにシャムネコをもらってしまいました。行きがかり上の出来事でした。小さな小さな猫です。その方は大事に大事に育てていらっしゃいました。お話によると、親猫は道路の端で息絶えて居たそうです。その脇に、暑い炎天下の中、干からびて死んでしまっている子猫も何匹か居て。
交通事故の怪我の中、母猫は最後の力を使い果たして生んだのでしょう。母猫に、お産の汚れをなめて取ってもらえないままうずくまって。かすかに息をしている子猫が二匹居たそうです。心優しい奥様は、その子猫を二匹とも引き取り、育てられたのだそうです。一匹は、一週間くらいで死んでしまったそうで、残りの一匹。ひ弱な子猫が生き残ったのです。

 その方の家にはおとなしく賢い大きなゴールデンレトリバーが家の中にいます。何をするにもワンちゃんが、興味を持って気にしてしょうがなく。「誰か里親をさがそう」という事になり、里親探しの旅に出られたそうです。親戚ヘ頼んだら断られたとかで、「途方に暮れている」とおっしゃいましたので、すぐもらってしまいました。それはペット好きの人間。一夜の宿の女将と客の関係でした。「これはこの子の使ってたものです。」大事に育てられた証拠の花嫁道具の数々。
帰られる翌朝、奥様は涙に暮れていらっしゃいました。後ろ髪惹かれる思い。「どうかどうか。よろしくお願い致します。」振り返り、振り返り涙をを拭いて。子猫を置いていくことに迷っておられるようでした。肩を静めた後姿がいとおしい。

 肝っ玉母さんをやってきた私。「大丈夫。私そっくりの元気な猫に育つから」言葉では言わない、私の胸のうち。縁あってミーコとチャメ私のところにやってきた「シロ」の生まれ変わりです。本当に「シロ」の小さいときとそっくり。主人と一晩協議して「シロ」でなく、「チャメ」と名づけることにしました。お茶目な、愛くるしい猫であるように。元気に明るく、気立ての良い子に育ってほしいと願いを込めて。チャメは気のいい、性格の明るい猫です。なんにでも興味があり、ミーコ姉ちゃんのお尻りにくっついて歩いてばかりいます。寄り添ってなめあい。玉のようになって眠っています。一人っ子でわがままだったミーコも随分しっかりしてきました。

 2001年。席は入れていないけれど最近、どこからともなくミーコにそっくりの乳牛柄を着込んだ猫。オスの白黒猫が宿の周りをうろついています。誰かが捨てていったのでしょう。捨て猫の寿命はさらに短くせいぜい3〜4年です。どうして捨てちゃうんでしょう。心が痛みます。胸がジーンとしてきます。薄汚れた体で、必死な目をしておびえて、人間恐怖症になっています。「ミーコもどき」と名付け、そっとえさを与えました。家の中ではもう飼えません。定員オーバーです。ミーコもチャメもチビコでさえ、避妊手術を早々と終えている彼女達は、窓辺へたずねて来る放浪雄猫なんかには知らん振りです。猫の世界も、飼い主が居ると居ないとでは天と地ほど違い。何時の日か買い与えて、増えてしまったおもちゃ箱の中を出たり入ったり。「だって私達にはお父さんもお母さんも、居るんだもん」まるでそんな風にいわんばっかり。そこに、幸福と不幸の境目。一枚のガラス戸が有ります。悲しげに、彼は私の置く窓下のえさ箱を寂しくあさります。そんな哀れな姿を見ると、心の葛藤の末、どうしても残飯を与えてしまいます。

 今、私の心の片隅に早々と「どこにこの子の住む部屋を決めてあげたらよいのだろう。」なんて考えがちらついています。家族も大反対。スタッフも、大反対。この館で最大の権限を持つ女将と言えども、肩身の狭い思いです。私は、前世。猫だったのでしょうか。犬だったのでしょうか。可愛そうな動物達と目が会うと、私はもう冷たく見放すことができなくなってしまう。動物の虐待が、多く報道されるこのごろです。私は怒りに震えて、テレビに食い入ってしまいます。「お人様の泊まる宿はいくらでもある。」宿をはじめて30年になります。「何でペットと一緒だからって、旅行に出て疲れているのに。畳の部屋に寝れないの。ペットちゃんはお財布持っていないのだから、ただでいいよ。」家族やスタッフ、周りの同業者。避難ごうごうの中、あえて主張をつらぬき通して15年。(平成二年に新館を建てて、そこを私はペットと泊まれる部屋に指定しました。)周りを説き伏せて、現在があります。「捨てられちゃったペットを救うには限度があります。せめて私の宿なりとも、ペットが大威張りで泊まれる宿でありたい。」そう願っています。

 はじめの内は、同宿している心無い一般客に保健所に投書されたり。嫌がらせのようにして犬なんか触って「汚らしい」と言われたりしました。だから走り回って掃除します。「どこにも犬の毛が落ちていないね。」と言われたいから。私は「女将でございます」などとテレビで見るような、着物を着てお部屋へ挨拶に廻ったりはしていません。元気で明るく裏で力仕事や、汚れ仕事に汗を流しています。私が顔を出さなくても私の心が館内に生きているように。スタッフ達が私の手足になってくれることを願って。普通の宿よりも部屋の中がきれいであるように。お花をいけたり。館内の宿泊者数を家族単位にして大幅に減らしたり。旅館のシステムの中における存在は女将でも、ペット達にとっては優しい田舎のおばちゃんでよいと思っています。

 まだ少しムリのようだけど、いずれはペット連れのお客様だけで一年の採算が取れればいいと願っています。たとえペット連れでなくても、そんな私の宿を理解してくださる方達に。ペットと一緒の人と廊下ですれ違っても、不思議な目で見ないで、弁天荘アンドアニマルワールドの楽しい一夜を、垣間見てほしい。「ああこの宿は人にも、ペットにも優しい宿なんだ」ってわかってほしい。そのためならどんな精一杯の努力でも、惜しみたくないのです。そんなに大もうけはしなくてもいい。ちゃんとした良心的な事やって、この土地のおいしいものを作って出して。毎年たたみ取り替えて。破れた障子がないように。散歩道にはお花を植えて。そんなあたりまえの宿を提供したいのです。きらびやかな宿ではない、ホットな心が落ち着く田舎の心優しい宿。

 今年は飛騨地方も、雪が多くてやっと待ちに待った雪解け。春の日差しは心を暖かくしてくれます。今年の春はどんな子達に会えるのかしら。とても楽しみです。私の猫達も、窓辺で大きく背伸びして。犬をガラス越しにしか見た事ない我が家の猫達は、裏の散歩道を楽しそうに歩いている家族連れを、目を細めて眺めています。乗鞍岳の雪解け水が、近くの小八賀川の水かさを多くしていきます。春の芽吹きが、野に山に。岩魚が川面の虫を追って、水しぶきをあげる頃。大自然という大きなアルバムの片隅に、今年の春が飾られるのです。青い空に浮かぶように真っ白な山。春山は眺めるには最高です。山がすばらしく眺められる場所をお教えいたしましょう。いまの時期の北アルプスはいいですよ。山が青くなるのは夏の始まり。夏の頃にはまた、このページでお会いしましょう。
どうか皆様お元気でお過ごしくださいませ。