女将の心


2001年初冬。我が家にやってきた犬のお話です。

 推定2歳。メス独身。ここだけの話ですが、彼女は未婚の母のようです。なぜならば 私たちの家にやってきた時は、すでに彼女のおなかのふくよかなバストの先からは、 なんとお乳が。それなのに、肝心のおなかはからっぽ。やせてやつれた犬の悲哀すら感じられるほどでした。お昼のワイドショータッチで表現すると「犬ゆえに、物を言わぬ彼女には私の家にやってくるまでには、想像を絶するような悲劇のドラマがあったと推察されます。」かわいがられて育ったペット犬。あろうことか親犬になったら捨てられた現実。

 しかしその悲しみに、めげもせず。彼女なりにひたすら幸せに向かって生きています。茶色の雑種犬。家族会議の結果、レオン「礼恩」と名づけました。弁天荘の看板犬の地位に座った彼女は、安定した生活を手に入れましたので毎日、恩返しに番犬としての忠実な働き振りを示してくれます。ペットの泊まる宿なのに、遠慮もせずワンワンと自己主張しています。せっかく来てくださったお客様のワンコちゃん達に宿の看板犬が威張っていては申し 訳ないので、「すこしは遠慮するように」といって聞かせるのですが、なかなか聞き分けてくれません。あんまりうるさいので私たちの自室の裏口に住まわせることにしました。

 犬が猫化している現代において、唯一天真爛漫な犬らしい生き方なのかもしれませんが。先に養女となった猫たちには女将の心、一目おいているようです。長女ミーコ(2歳半)メス猫。次女チャメ(1歳半)メス猫に続く、三女(推定2歳)メス犬。三匹のかけがえのない子供たち。うちの子達はよそ様とちょっと違うのは、私たちの子はみな尻尾があり足は4本足なのです。おかげさまで病気もせず、すくすくと天真爛漫に育っています。でも悲しければ鳴きますし、うれしければそれなりに全身で喜んでくれます。

 高齢出産覚悟であらゆる手を尽くしても私達夫婦に子供は、授からなかった。おかしいかもしれませんが、私達にとっては猫や犬が家族です。「子供代わりに犬や猫。森家14代目の行く末は」と嘆くのは、13代目の当主に当たる私の父ばかりです。しかしその父も、肩にいつも猫を乗せて歩いています。父にとっての、アニマルガールフレンドは老人の添い寝をしてくれる「ちびこ」お婆猫。「おお昔からあるところに今もそのままある、古い山里の旧家のわきで、ささやかな旅館を営みながら自然のままに暮らしている動物家族がおりました。めでたし、めでたし。」そんな風に生きていたいなあ。社会情勢が変化して、どんな厳しい生活環境になろうとこの子達がいるから、私は心が 救われている。一番弱いものからもらう、一番大きなパワーだから。

 山里の立地条件。高山市と奥飛騨温泉郷との中間の自然に囲まれた国道沿いの宿。観光にも、周遊にも拠点として車で移動するには便利な場所の旅館弁天荘。「お人様専用の宿は奥飛騨や高山市内にも沢山ございます。ペットがいやなお人は、よそ様にお泊り下さいませ。私どもの宿は、犬や猫が主体の宿です。それをご理解頂けるのでしたらどうぞ歓迎いたします。ペットがいないお客様もご遠慮なくお泊り下さい。」人間が感じるほどは館内犬くさくなんかありませんよ。全館和室ですからゆったり。犬の毛なんか落ちていないのが、この旅館弁天荘の自慢するところ。「もちろんペットちゃんはお財布なんか持っていません。無料でいいです。 どうぞ、どうぞ。何匹でも何キロでも大歓迎いたします。」

 人間の都合で、ある日突然ペット達が捨てられてしまう現実。我が家の三女メス犬レオンも、保健所経由で我が家に来た子。2001年の初夏、この村の無線広報のアナウンスに、捕獲した迷い犬のことが流れていました。保健所の後には、殺されちゃうなんて。ショックです。我が家には去年まで、年取った「ぽち」という雑種の犬が居ましたが、彼が寿命を全うしてあの世に行った後は、私達は一年間喪に服していたのです。そして 内心ペットの泊まれる旅館、(真っ白なサモエド犬がいいとか、ぷくぷくの豆芝がいいとか、愛嬌のいいビーグルがいい)とか、いろんな犬の本を見ては新しい犬を迎える日のことを楽しみにしていました。

女将の心 しかし、身近に捨てられている犬の話を聞いたとたん、かっこいい犬とかかわいい犬とか、そんなことはどうでもよくなってしまいました。洋犬が何代もかかった雑種中の雑種犬。保健所経由の筋金入りの捨て犬というお墨付きを持つ、首輪すらしていない。 おまけにがりがりにやせ細って、ご飯をさがす苦労に疲れ果てているようだった。 ブラッシングも長い間受けていない、体毛が絡み合ってしまっている、薄汚れたメス犬。でも私達は保健所の係員から大喜びで、押し頂いて譲り受けてきたのです。獣医に立ち寄り健康診断。晴れて丹生川村の役場にも犬の住民登録を済ませました。私達夫婦は、うれしそうに晴れがましく連れて帰ったのです。「あんれ、まあ」と旅館のスタッフが唖然とする姿を尻目にブラッシング。「こんな犬で、恥ずかしい」なんてみじんにも思いませんでした。

 ひとつの命との出会いですもの。一年間に抵抗もできずに殺されていく犬が10万頭も いるという話を聞いたことがあります。10万分の一の確立で私達はこの犬に出会えたのです。おかげさまでレオンは雑種だけあってとてもタフな犬です。少しは太ってきました。自転車を引っ張ってのお散歩。主人の作業運搬用の一輪車を引いての働き犬。主人のお供をして畑について行けば、主人の作ったかぼちゃをくわえ叱られています。柔らかい全身の毛に草の実をいっぱいつけて、畑のすみっこで泥んこになって、「ここ 掘れワンワン」やってます。小さなアマガエルを追いかけて、ウサギのように飛び跳ねています。この子は我が家に来るべき因縁だったのかもしれない。おなかがすくとえさ入れをくわえて右往左往。なんともかわいらしいしぐさ。散歩に行くときも、真っ先に全財産であるえさ入れをくわえて移動しようとするのが玉にキズ。そしておしっこをした時、持ち出したえさ入れはすっかり忘れてきてしまう。案外よくばりなのかもしれません。お散歩中のゲスト犬が通りかかれば、大騒ぎです。「そこは私がおしっこする場所。ああ、そこは私が歩くところ。ワンワン」

 余談になるが因縁というのは面白い。織田信長公と共に本能寺で殉死した森欄丸の死後、森一族は乱世の世を越えて、後の世の江戸時代に至っては、犬公方と言われた徳川様に仕えていた。その時、森家の遠い祖先は「生類哀れみの令」により、江戸の町に「一万頭の犬を捕獲し、大切に世話する巨大な犬小屋を建てるよう」命じられたとか。古いぶんけんの中に記されているとのこと。しかし職にあふれた浪人達の怒りをかい、犬小屋は犬もろとも焼き討ちにあってしまい、その失態によりどのようなお咎めがあったかは計り知れず。定かではないが、興味をそそられるのは、「犬小屋建設と捕獲飼育」に苦闘した森一族の歴史。現に森一族の枝葉の子孫である私が、「飛騨の地にある森家」というこの旧家を守りながら、現代に生活していること。しかも、因縁というべきか、平成の現代に「犬に携わって宿屋」を営んでいるという事。偶然とはいえ、何かしら遠い祖先が果たせなかった、使命感のようなものを感じられずにはいられません。不思議なえにしを感じます。

 話は本筋に戻りますが、犬たちの近年における記憶を紐解いてみても、一部の犬のあり方によって、現実の彼らの生存の歴史や運命すら変わってしまった。テレビや新聞で知らされる、犬と人に関する数々の傷害事件などがその例に上がる。いつの間にか犬はしっかりした飼い主の元で、愛護の手で手厚く介護しなければ生きていけない動物になった。昔と違って今は、外で飼えないから家の中に住まわせる。室内犬はもとより、昔は庭先に住んでいた大型犬でも、飼い主のそばに寄り添う生活になって、室内犬の定義は崩れてきた。大小問わず昔よりは、おとなしい犬が好まれるようになり、住宅のあり方もそういったスタイルになってきた。それもひとつの愛だと思う。変化しなければ、共存できないという現実。「私たちを捨てないで!!」捨てられた犬たちの叫びが聞こえてきそう。「犬に生まれたけど、猫のようにおとなしくご主人様のおうちの中で、かわいらしく暮らしますから。どうかおそばにおいてください。小さいうちから家の中に暮らさせてもらえば、私だってちゃんとマナーを守ります。私は犬なのですか。お父さんやお母さんの子供ではないのですか。お願いですから、お出かけには私も連れて行ってください。」犬たちの会話が聞こえてきそうです。どんな犬でも、犬に罪はありません。犬だからこそ、しつけを学習し習慣にしていける。犬は飼い主しだい、とても賢い動物。「だから犬は友達だね。パートナーでもあるよね。」私はつぶやく。弁天荘にやってくる犬のほとんどが、感心するほどお行儀のいい、ペット犬。「うちはお客様の質がよいこと。それが私の誇りです。うちのお客様の水準を保ってくれる人ばかりならいいのにね。」と私は嘆く。

 特別な観光地も、入れなくなってしまった現実。私の村の乗鞍岳の乗鞍スカイラインでも、ペット犬入山禁止。ついこの女将の心間まで乗れたお隣の新穂高ロープウェイも乗車拒否。「ペットはだめとはどういうこと。」我が家に来る愛犬家のお客様は、みな一様に「こまるわ」「がっかりだ」とおっしゃる。でもこうなったのは、マナー違反者の事実とそれらの事件の積み重ね。ペットブームの影に隠れた、真実を告げて理解していただくより他ならない。一部の粗悪愛犬家の積み重ねてきた軽犯罪とも言えるマナー違反が、観光地の規約を作らざるを得なくしてしまった事実。聞けばなるほどと思うはず。人間はあらゆる生物のイニシャチブを取っている立場。愛玩の大小さまざまの動物達が氾濫している。傍らで天然記念物のライチョウや絶滅に 瀕している動物がいることも知ってほしい。開発発展のためにやむなく自然を壊したとしても、どこかで償わなくては。ペット犬が天然記念物の雷鳥を追いかけ、くわえてきた事実。ショックな話だが現実の事件。それがきっかけで「考えさせられる」テーマが発生した。ペット犬が急激に増えたこと。車から降りた犬は習性で、早速いたるところでおしっこして糞をする。糞は拭いとってもおしっこは拾えない。3000メートル級の岳山には井戸はなく天然の雨水、雪解け水が飲料水となる。もちろん最低限度の処理対策はしてあり水質基準も法廷で定められている衛生基準を保つ努力はしているが、シーズンともなれば、たいきょして登山してくるマイカー登山者。当たり前だが家族だから、車に乗って登山してくる犬達の数が多くなった事実。水質汚染問題も、対策が追いつかなくなっている。このまま放置していたら近い将来、結果的にはそれを人が飲む。そうなってからでは遅い。

 犬連れの観光客もやはり自分の犬ならまだしも、どこかの知らない犬のおしっこ交じりの水を飲むことになってしまう現実。そんなことになってしまってからでは遅い。どこかで制約して、流れを止めなくてはならない。無防備な自由では秩序が守れないから。犬の多くの病原菌が自然界の免疫力のない天然記念物に感染すること。多くの天然記念物が、絶滅の危機に犯されつつあること。わかってほしい。環境美化を守る対策、地域行政の取ったモラルのあり方の一環として、「入山拒否」があることを知っていてほしいと思う。残念だが、確かにやむをえない処置だと思う。

 ペットと泊まれる宿。弁天荘の女将として、今しなければいけないことは。事の重大さを理解してもらえるよう、この世のすべての愛犬家の皆さんに微力ながらも、お願いと理解を得るための、説得と努力をすることかもしれない。しかしながら現実。されど現実。なんとも残念でならない。

 そこで弁天荘から皆様へのご提案。乗鞍岳スカイライン。上高地。新穂高ロープウェイに関しては、旅館弁天荘に二泊以上してくださるお客様のペットちゃんに限り、ペット一時預かりを致します。「犬好きな田舎のおばちゃんに預けた」と思って、心おきなくペット立ち入り禁止区域へ、ペットを預けて遊びに行って来てください。5時間程度なら。飼い主さんがそばに居ない場合は、サークル、またはケージがあるといいですね。水やりとおしっこ散歩は連れて行きますけれど、基本的には宿泊のお部屋またはロビー。犬の種類によっては庭先の涼しいところにつないで預かる方法ですから。犬小屋の収納方式ではありませんので、街中にあるペットホテルではないということをご理解ください。「私どの宿をご利用くださる愛犬家の人々へ、ペット連れ旅行の不自由さを、少しでもお手伝いできれば」と思う宿側の好意とご理解くだされば幸いです。同じ無類のペット愛好家としての一期一会のご縁です。遠慮なくご相談くださいね。ちょっと足を伸ばせば、いたるところがきれいな自然。町も山も美しく。見るところがいっぱいある飛騨の旅です。お気軽においでください。

女将の心 そんなわけでお泊り頂いたお客様の到着時に、お顔にお目にかかることなくて、だれが、女将かわからない。女将としての失礼の数々は前もってお許しくださいませね。旅館弁天荘の中で一番女将らしくない、中年の太ったおばちゃんがこの旅館の女将です。美人女将では決してありませんので「ご満足というお客様のお気持ちに少しでも近づくため」に、心美人を目指して、私は裏方に徹して大奮闘。そうです。たくましい動物好きの女将は、いつもバケツをさげている。エプロンがけで館内を走り回っている。女将とは名ばかり、「気のいい田舎のおばちゃん」肩のこらない宿です。お気軽にお泊り下さい。

 おなじみ様にご愛顧いただき、今日まで山の中で宿を営んでこられましたのも、口コミや皆様が評判にしてくださいます、おかげさまでございます。これからも飽きられることなく、末永くご愛顧いただけますよう伏してお願い申し上げます。年から年中、調理室で煮物をしていたり、塩焼きの串を手にしたりしている。「客前にめったに出ない女将と異名をとるこのごろの現実」この場を借りてお詫びしておきます。宿は「一人の人間に代表されるものではなく、全体が評価されるものだ。」とつくづく感じておりますこのごろ。だからペットと泊まる宿のクラスでは、安心してご満足いただけますようにすべてが見えるところに出没できるよう。女将とかしこまって名乗ることなく「弁天荘の女将は、裏に回っちゃったのだ」とご推察くださいませ。
威圧や肩書きや格式ばったもてなしはかなぐり捨てて、「女将の挨拶」がなくともがっかりしないで下さいませ。おかげさまで夢がかない、この宿全室ペット連れのお客様でまかなえるようになりましたのも、皆様のご支援の賜物でございます。ペット専門旅館になるにつれ、ペットの数も増加をたどり「形で迎えず、心で迎えたい。」自らを犬の目線にしてペット達にとっても、いい宿でありたいと願ってます。

 でも女将代理は私の叔母ですから。安心して私同様遠慮なく何でもご相談くださいね。「成原さん」は、嫁いで性は違いますが父の妹。ここから嫁いでいった先代の娘。叔母は小柄でやさしく、若く、見えますが60歳。私と同様ペットが大好きです。やはり彼女も自宅に白い犬を飼っています。年が明けると私は50歳。ますます元気と馬力がとりえになりました。更新が遅くなってしまい、夏の予定が今年は年も押しせまる月になってしまいました。これからは年2回を目標にがんばりますので、時々このホームページに遊びに来てください。それでは、皆様ごきげんよう。
皆様の愛するペット達に幸せが多いことをお祈りいたして、この辺で私のつたない文章を閉じることとします。

敬具

平成十三年十二月吉日

   ペットと泊まれる宿 旅館弁天荘    女将  森 和歌子