2003年初夏

 皆様。お久しぶりです。お元気でいらっしゃいましたか。ご高齢のペットちゃん、無事何事もなく年越しできましたでしょうか。この際一日でも長く健康で、幸せな日々を送ってくださいね。たとえ寿命尽きてご家族の皆様にみとられて短い生涯の幕を閉じたとしても(君の生涯は楽しい、幸せな犬の生涯だったはず。)家族のぬくもりの中で、自然界からかけ離れ、家庭という暖かい空間の中で生涯をまっとうで来た猫ちゃん。ハムスター君も、フェレット君もうさちゃんも金魚君もインコ君も、みんな本当に有難う。短い寿命を精一杯、生きていてくれて有難う。

 人間って、強いようで弱いものだから、そばに居てくれるだけで励まされたり、寂しさを癒されたり、やさしさを教えられたりするのだよね。最近のペット動物って何だろう。今日の社会でペット動物のなす役割は、空気のように、存在があたりまえになりつつあるような気がする。いまやどんどんエスカレートして住宅事情ですら、ペットが住めるマンションが定着してきている。ずいぶん一昔前とは、待遇がよくなって、ペットたちも生きて行きやすくはなってきた。(ペットと言う存在する場所を人間界で勝ち取ってきたのは、やっぱり君たちの天性の愛らしさかもしれないね。)

 宿の仕事に一日中心身ともに疲れはて、仕事から解放された時、夜中に寝室に戻った私を迎えてくれるのは、(頼りになるようで頼りにならない)私の最愛の亭主と、我が家のかけがえのない動物たち。私の寝室の布団の上で背伸びをしながら、大きなあくびをしている無邪気な猫。真夜中の時間でも「ご飯の時間なの?」と押入れの猫籠から、飛び降りてかけ寄ってくる食いしん坊猫たちだ。そして部屋の片隅で丸くなって、いつも眠りこけている犬。薄めあけた目の奥には、「なーんだ。お母さんか。」また寝てしまう犬。番犬?そして隣の寝室から聞こえてくる、だんな様のぐうぐうという大いびき。変哲もない家庭の毎日の、繰り返しだがなぜか、ほっとさせてくれる。すべてが寝静まった真夜中。我が家の平和を感じる一瞬。我が家には「みーこ」。「ちゃめ」。「タマ」。猫が三匹。そして「レオン」という犬が一匹。それから「80歳を越したぞ。後2年は、大丈夫じゃ。」と、自分で自分の年に感心しては、猫にしゃべりかけている元気な老人。私の父と、そのパートナーのメス猫。「この猫は妻の形見だ」という父。飼い主が高齢だと猫も高齢。年寄りコンビなのだから面白い。昔は、可愛い声で甘えていた「ちびこ」も、今ではなんともいえないしゃがれた声で、甘え上手は彼女の生きる手段なのだろうか。ちゃっかりと、やわらかくて美味しいものにありつき。高齢の猫は、廊下も歩かず、飼い主の肩に乗って移動。まだまだ長生きしそうだ。

 いつも私の主人は、そのコンビの姿を見てうらやましそうに、「家の猫たちもお父さんの猫みたいに、いつもくっついて来てくれると可愛いのですが。三匹も居ると、もう勝手に好きなことしていますよ。」と嘆いている。夜中に猫探しに懐中電灯持って、猫の名前を呼んで歩く様は異常かも。つかれきった身に、真夜中の「バカ猫」探しは、腹立たしく。結構大変だ。一方、当の猫たちの立場では、家の中ばかりに居ると時々ストレスがたまるらしく、とっかえ、ひっかえ、それぞれに逃亡?いや放浪だろうか。蛙が田んぼで騒ぐころになると、かえるを追いかけてどこまでも行ってしまう。ご近所の軒下でじっとねずみを、何時間でも狙っているのだという。「ほっとけば帰ってくる」と人は言うけれど、心配で、心配で!たまらない。そのつど私も主人も、親ばか、やってしまう。たかが猫。しかしかけがえのない猫。車にひかれては居ないか。首輪がどこかに引っかかって帰りたくても、帰ってこられないのではないか。どこかの家の犬にほえられて、たちすくんではいないか。「ミーコー。ご飯だよー。」「チャメー。帰っておいでよー。」猫のマグロの缶詰の館をスプーンでたたいていると、どこからともなく飛んでくる癖が付いてしまった。やれやれである。

 いろんなことが山積している現代社会。長引く不況や、病気。テロに、戦争。ジャコウネコを食べたら、新型肺炎の「サーズ」が世界中に蔓延して。チャウチャウ犬は赤犬といって美味しい肉だとか。身震いのする話。国によっての食習慣の違いだとは言え、食用の犬なんて。猫と名のつく動物を食べたり犬という動物を食べたりする、ハトも美味しいそうだが。背筋が凍る思い。でも仕方ないのかなー。

 昔、私が小学校にも上がってないような年のころ。我が家は代々続く農家として、母屋の玄関の脇に「牛の間」があって、同じ家の中に牛が住んでいたのだ。昔はどこの農家でもそうだった。和牛の黒牛。今で言う飛騨牛のこと。お父さん牛は居ない。常に母子家庭だ。父牛は日本全国を流通する有名雄牛の冷凍精子。獣医が種付けの注射をして、子牛が生まれる。子牛が大きくなるとバクロウの人が牛の買い付けに来る。その牛に値段が付いて、トラックに牛は生きたまま乗せられ、と殺場へ。そして肉屋の店頭に並ぶ。たうえ仕事が終わった後は、10月の収穫時まで、農家の収入はとぼしくなる。今のように高冷地野菜やハウス栽培などしていなかった昔の農家は、収入が激変する。牛は労働力であり、現金収入源でも有る。

 幼い子供心にも、よほど強烈だったのか、鮮明に記憶がよみがえってくる。物事をいち早く察知した牛は「牛間や」から出たくないと、泡を吹きながら、「もおー。もうー」大きな涙をぽろぽろ流して泣いて、足を踏ん張って抵抗する。何人かの男たちに尻を鞭でたたかれ、抵抗も、むなしく。生きた牛は暴れないように荷台の、檻の柵の中に縛り付けられ、荷物と化してしまう。男たちに尻を押され、トラックの荷台から容赦なく引っ張り上げる力は、鼻に通した鼻カンが、食い込んで痛々しい。命の終わりを予告する、すざましい光景だ。わずかに開いている柵の隙間から、大きな目で恨めしげに「もーう。もーう」と泣きながら、覗き込む子牛。目には大粒の涙。狂ったように「牛間や」の中を鳴きながら駆け巡る母牛。「牛は賢い動物で、昔の農家は牛が労力の大きな役割をしていた。

 可愛がって育てていると感情も入ってくるし、よく言うことも聞く。言葉もわかる。力仕事もすなおにしてくれる。だから可愛い。飼い主の手や顔などを舌でぺろぺろなめて、首筋を摺り寄せてくる。しかし、可愛いと思ったら、生活苦に負けてしまう。牛を市場に売りに行った帰りに、市場の肉屋で牛の肉を安く売ってあっても、涙が止まらんから、俺はよう買わなかった。お前たちを含め、育ちざかりの妹や弟。親や妻や子供。家族6人も8人もが待っている。大金が入ったし、(今夜、久々のすき焼きを食べさせたら、さぞかし喜ぶだろう。)とは、思ったが。しかし俺はとても買う気になれなかった。もらった牛の代金を入れた、鞄をしっかり握って、帰ってくるのが精一杯やった。」と、父は昔を遠く眺めるように何十年も前の話を、話しだす事がある。

 おばあちゃんは、仏壇で一心に、お経あげて。木魚をぽくぽくたたいて、震えるように数珠を、しゃり、しゃり鳴らしていた。母も手ぬぐいで涙を拭いて、「かんにんしてくれよ。」と声にはならない、涙声。そばには、母のはいている紺絣のもんぺの端をしっかり握って、指をくわえている私が居たことを思い出す。弟は母の背中に負ぶさっていた。それからしばらくして、小学校の低学年のころだっただろうか。父は耕運機を村でもいち早く買って、いつの間にか牛は我が家から姿を消していた。父は牛飼いを辞めたのだ。

 ああ、日本中の庶民が精一杯に、生きてきた日本の昔。今は豊かな時代。日本中、飽食の時代。いくつもの時代を乗り越えてきた、日本という国のたくましい人々。「苦しい、厳しい、大変だ」といっても現代は、贅沢三昧の豊かな食生活。車社会の便利な時代。家族みんなでどこへでも行ける。飛騨牛は、美味しいと、もてはやされて弁天荘でも毎日お客様の食卓にお出ししている。でも、どこかで割り切るとはいえ、やっぱり犬も猫も食べられない。多分、食糧難で飢え死にしても、私は犬も猫も食べられないと思う。本当によかった。日本の食生活の中に、犬や猫を食べる習慣がなくって。

 山の色がやわらかい黄緑色から、一雨ごとに深い緑になって。すっかり初夏。ついこの間まで、「長かった冬の寒さから開放され、飛騨にもようやく春が来た」と大喜びで桜を眺めていたような気が致しますが、もうあっという間に初夏。気の早い山のせみが、ミーン。ミーンと近くの山で遠慮がちに鳴いて。「かっこう。かっこう」と鳥が遠くの山で鳴いて。飛騨の、春はつかの間です。山桜も、山吹も散って、山の藤があでやかな紫房をたわわに咲かせ、笹ゆりの花のつぼみがふくらんでくる頃。私はいつものごとく山のおばちゃんですから、わらび採りに明け暮れています。こごみも充分取りました。たけのこも藪の中をはいつくばって、重たくて運べないくらい、沢山とって保存しました。これからは沢ふきの季節。そして後は、夏から秋までお客様を待つのみ。

 「せっかく弁天荘に来ていただいたお客様にはせめて本物の、防腐剤付けの外国の山菜ではない、飛騨の山菜を出したい。」そう思うからこそ。私の愛車、日産エルグランドは、春の野山、飛騨中の山道を走り廻っています。長靴履いてタオル首に巻いて。おにぎり持って。こだわりが究極に達して、およそ旅館の女将とは思えないような格好ですが。
忙しくて。忙しくて。今日はあっちの谷。明日はこっちの山。「山も畑も、本物の山菜、本物の野菜を求めて、愛が在ればこそ。お客様が一番大事だからね。」なんて、嫌がる主人を促して、山坂駆けずり回っています。でも。山の中でほっと一息したとき、さっと流れてくる涼しい風を浴びるとき楽しそうに泊まりにきてくださるペットちゃんと飼い主さんの、うれしそうな顔が浮かぶのです。尻尾をばたばた振って、ニコニコ顔ではしゃぐ犬たち。

 都会育ちの私の主人は、「こんな苦労して取った山菜だということ、本当にお客様はわかってくれるのかなあ。」なんてぶつぶつ言いますが、「価値観は、弁天荘の価値観は、わかってくれる人だけが泊まりに来てくださればいいんよ。」「私たちには子供も居ないのだし、いいやないの。夫婦二人で山歩きして、山菜取りしていられるなんてありがたいことだと、思いましょうよ。充分幸せだと思いましょうよ。拾った猫やもらった猫。殺される運命を救った犬と、そんな弱い者の同士がよりそって。そんな大もうけしなくたって、ぼちぼち暮らしていきましょうよ。」と主人をうながす。主人いわく「大もうけどころか、お前の趣味の館の旅館は通常旅館なのに、一般団体客はほとんど断って。家族を大事に、犬が居れば、猫が居ればなんて、言い張っているから。今のところは壁や畳の修繕費に、毎年、毎年、何百万という大金はたいている。こんなご時世だから、メンテナンスの費用は苦しいばかりじゃないのか。我が家の招き猫は、何匹居ても、えさ食って、壁引っかいて。金がかかるばっかり。猫砂だって、三匹だからなあ。すぐ汚れるし。えさ代も馬鹿にならんぞ。」痛いところを、主人に衝かれて。返す言葉もない。

 でも主人も、口ではそういってみても畑で野菜を作って、猫も犬も連れて毎日散歩して、忙しい私に代わって、めんどうみてくれている。やっぱり飼ってみれば可愛いらしい。「ああ、そうそうタマちゃんの警察から、払い下げてもらう期日がもうすぐ来るわ。」タマは去年の年の暮れに、近所にやせこけて迷っていた、毛長種の洋猫。我が家では、もうペットは、定員オオーバーだと騒いでいたけれど。幸か不幸か、結局半年たっても、タマの飼い主が名乗り出なくて。(6月12日を持って半年の預かり期間を終了する。)高山警察から、拾い物取得権利のお知らせが来た、というわけ。「お金なら、警察で保管するけれど生き物は、拾った人が保管してください」といわれ。内心、私は大喜びで連れ帰ってきた。またかと、あきれる家族を尻目に、すっかりタマは「タマ」と呼ばれる新しい名前を自覚して、我が家の3匹目の娘猫になりきってしまった。きっといい事とあるよ。(「助けた亀」ではないけど「助けた猫」からは、人が人として生きていく心のやさしさをもらうもの。それで、いいじゃないの。)山の間から流れてくる白い雲に向かって、私はそうつぶやいた。

 主人は、もうさっさと車に戻って缶ジュース片手に一息ついている。「でも大丈夫よ。きっとそのうち、旅館弁天荘の事わかってくださるお客様が、全国から、一杯来てくださって、シーズンオフなんてなくなるよ。」(ぼちぼち。ぼちぼちとやっていきましょうよ。)心の中で独り言。私は、ゆっくりと汗を拭きながら、「もう帰りましょうか。だいぶ、取れたものね。」「うん、そうしよう。」主人の口から、うれしそうな声が跳ね返ってきた。15年5月。それは春の終わりのころ、初夏に差し掛かったある日のことでした。

 私は犬や猫が好きだから、もう17年も前から犬や猫に宿泊の門戸を開いています。ペットちゃんは、お財布持っていないので無料です。犬を‘威張る“材料にしてほしくないし。「犬が可愛いから。家に置き去りにして来ても、楽しくない」と思っている人に泊まってもらいたいのです。不況でお客様が少なくなったから、「犬を泊める宿」をやっているのではありません。好きだからです。でも犬は犬で猫は猫です。飼い主さんの保護の中に居る、ペット動物です。犬を犬と呼ぶなといわれるお客様が、このごろほんの少し増えてきました。「この子にはれっきとした名前があります。犬なんて呼び捨てにしないでください。ワンコなんていわないでください。ペットなんていう失礼な呼び方しないでください。」と、お叱りを戴く。でも、犬は犬。家族の一員であっても犬は犬。猫は猫。犬を畳座敷に上げることを許した私は、17年前は変人扱いだった。後からペットブームが後ろから追いかけてきて、今ではずいぶん「ペット宿泊可」の宿が増えてきている。当たり前になってしまった今こそ、初心を忘れない、逸脱しない感性の中で経営者としての本髄を歩いていきたいと思う。

 山里の小さな至らないばかりの宿ですが、真心を込めて皆様のご宿泊を、心よりお待ち申し上げております。旅館弁天荘のロビーで、みなさまのペットちゃんにお目にかかれる日を、楽しみにお待ち申し上げております。長々とつたない文章のご拝読、有難うございました。また何ヶ月かあとに更新いたします日までお健やかに。ご機嫌宜しく。


ペツトと泊まれる安らぎの宿 旅館 弁天荘  女将 森 和歌子