●ペット愛好家の皆様。お元気でしたか。


 毎年のように同じような季節がやってきては一年の幕を閉じています。延々と繰り返されていく自然の摂理。もしも、少し変化があるとしたらほんの少し暑さが長引いたとか積雪が多かったとか。そんな程度。人間の命は現代では、結構平均寿命が延びています。

 そんな季節の変わり目を私たちは当たり前のようにして、やり過ごしています。何十年もの間。延々と繰り返し暑さ寒さの季節の流れを体感してきています。人間にとって、一年は一年なのです。

 ところが動物はどうでしょう。犬は人間の一年に比べ4歳ごとに歳をとっていく。猫もほぼ同様。せいぜい10年から13年が平均寿命。意外に短い一生なのです。ついこの間生まれたと思っていたワンコちゃんは、翌年来てくださる時はもう立派な青年犬。6ヶ月で、人間で言うとやんちゃ盛りの少年といったところ。力もあるようになっています。耳も観察力もにおいもすべてが発達してきています。

 しかし、ちょっと見ないうちに。もう、すっかり落ち着いてしまった、中年のおじちゃん犬だ。「あれれ、どうしちゃったの。」去年は喜んでついて行った、ご主人様と一緒に旅先でのお出かけすら、おっくうに見あげている。せっかく一緒に来たのに、旅先の観光地へも行きたがらない。ゴロッと寝そべったまま。しかし食欲はあるから、病気でもないらしい。
涼しい時間の散歩程度は大喜び、炎天下の出歩きは苦手。そのはず、彼らは夏でも純毛の毛皮のコート着ているのだから。犬や猫は幼年期を過ぎるとかなり速いスピードで歳を取って行く。数年見ないと、あっという間に飼い主様のお年に近い歳だったり、追い越したりしている。8歳ころから老犬の仲間入り。季節によっては、やりきれない暑さだったりすることだろう。旅先に、一緒に連れて出ないと心配。しかし連れて行っても、つかれきっている姿を見ると又心配。昔、何十年も前。私の考えも未熟だったのかもしれません。私がペット同伴の宿をし始めたころも、ペットホテルはありましたので。「ペットホテルに預けて、寂しく、悲しい思いをさせるくらいなら。大変でも一緒に連れてきてください。」と言っていた。

 しかし今間違いだったことに気づく。このごろのワンコちゃんを見ていると、あながちペットホテルの存在は間違いでもないことに気いたのです。ペットと同伴できない国立公園の観光地が増えたこと。まだまだ一緒に入れるレストランや蕎麦屋さんなど喫茶店も入れるところは少ないこと。ペットとの旅行は不自由なことが多いのだ。飼い主様の旅先の御不自由さをホローして、なおかつペットちゃんにとっても快適であれば、一番いい。やるからには、そのレベルで対処しなければならないだろう。旅先に飼い主様のそばから離れたら最後、悲惨な迷子犬になってしまう。ペットにとって人ごみの中を歩き続ける事は、神経つかって見知らぬ土地をひたすら従順について廻ることである。忠犬の現れ。どこに気の安らぐ場所があるというのでしょう。ぐうぐう、イビキをかき、ぼろぼろにくたびれはて、何があっても起きようとしない。やっと付いた宿で、死んだように眠りこけている、ペットちゃん。人間だって疲れるのだから。「無理もないわー。貴方もお疲れ様。」行きも帰りも一緒のたび。行けるところは、どこでも一緒に行きたい。飼い主様もペットちゃんも同じ気持ち。若くて、元気なうちは良い。そうあってほしい。
 
 ペットとしての立場上、留守番をするといっても、飼い主の何日も居ない家での留守番は無理。(家の中に自由にご飯も水もウンチするとこもすべてが整っていればそんなに心配する事はないのですが)「お前も家族だから、一緒に旅行に行くよ」と飼い主様から告げられれば、よろこんで「ハイ。ご主人様。」尻尾を振って二つ返事。同行して来る。可愛い忠犬。

 しかし夏の過酷な暑さは、若いうちはいいとしても犬年齢での、中年に差し掛かってくると、ちょっとこたえる移動の距離。だから、車でお出かけまでは満足。しかしその後の旅先の観光のお供はつらい。ふと私は、(人と犬のやすらぎのあり方とは)そんな、わけのわからない発想が脳裏を掠めました。(果たして犬は観光地に行きたいのだろうか。ご主人様と一緒に居たいだけなのではないだろうか。)観光地の宿を経営しながら、おかしな疑問に心が奪われるようになりました。

 安心して快適な空間が確保されているのなら、動きまわりたくないのかもしれない。「私ここでちょっと待っています。ご飯食べに行ってきてくださいな。私に遠慮してコンビニの弁当や、五平餅やお団子などで御不自由な御旅行になさる事ないのですよ。」「ぼくいやだなー。街中の雑踏の中で、暑いアスファルトの道歩き続けるの。地面が近くて照り返しは身にこたえるよ。おやつにゴンタの骨でももらって、涼しい場所でかじっていたいよ。ぼくここに居たいよ。ご主人様だけで行ってらっしゃい。」そう言いたい子もいるのかもしれない。

 そこで、「お食事どころ弁天」という高山側の建物を改装し、昼間のお預かりができる場所を作りました。それが、「ペットの託児所ジョンの家」です。ジョン(推定3歳の雄犬 )とレオ(推定5歳の雌犬)の二頭がフレンドリーな看板犬。その二頭の犬は元はといえば、「大人の犬」になってからの捨て子。今では私の子になっているが、一度は最初の飼い主の人間に見放された子達だ。縁あって、看板犬。保健所の手前で命拾いした犬たちなのです。

 生い立ちの境遇にも負けず、餌を前にして「まて」を命じられると、目をそらしよだれをたらして懸命に我慢しているジョン。猫のえさが大好きなレオ。二頭共おかげさまでいじけていない、遊びたいばっかりの、元気な甘えん坊。自分が猫だという事すら、忘れてしまっている、チャメとタマとミーコ。みんな個性あふれるレディだ。「どきっとするような色っぽい目をして見つめてくる」と私に訴えてくる私の主人。私は「あはは」と大笑いをする。天井裏から入り込んだまま、廊下を占拠している飛び入り居候猫。雄猫のシロは推定2歳。食欲旺盛。相手にしてもらえないのに、ニューハーフとなってしまった年上の3匹の猫にへばりついている。大所帯だけれども、みんな仲良く暮らしています。

 私と主人とスタッフの畑中宏輔君。愛称「コーちゃん」24歳地元出身の気の優しい犬好き青年が世話係。そのうちゲスト犬が何頭も来てくれたら、犬好き猫好きスタッフを増やして対応するつもり。飛騨にも優しい人は沢山居るから。「乗鞍岳も、新穂高ロープウエイも、上高地も犬は行っちゃだめ、ペットだめ」って拒絶反応。夏の飛騨の魅力に門を閉ざし、涼しさを求めてきた人の心の安らぎを閉鎖する。癒しの象徴動物。ペットとのお出かけ風潮に、あわてて砂防提のように通達した行政。天然記念動物保護のその深い意味も、わからないわけでもないが。「じゃー。どうしろって言うの。だめって言うだけでは、困るわ。」何度もお客様から叱られた。「そうです。私もそう思います。」一緒になって憤慨した。そうだわ。「裏の田んぼも、散歩道だし、涼しく快適で清潔な施設があれば、多頭預かりできれば」すこし悩み解決。「でも私忙しいし、そうだわ。誰か、建物貸すからやってくれないかしら。」地元不動産屋に一年相談していても、田舎の不況は今が絶頂期。誰も借り手がつきません。「ああーん。しょうがない。わかったわよ。私がやればいいんでしょ。誰もやってくれないのなら、私がやるわ。犬がかわいそうで見てられないもの。」というわけで始まったペットの託児所。観光地へ行くルートに、(ちょっと預かりしてくれる)多頭預かり施設がない。これが現実だから。ペットの救済として存在すべき施設にならなくては。旅館業を私が陣頭指揮し、私の主人が犬好きなスタッフと共に「ジョンの家」を管理運営する。私たち夫婦の理想の姿。どうか、この仕事も成功しますようにと祈るばかり。連携した経営で、成功するかどうかは、いかに快適にペットちゃんが過ごせるかどうか。ペットちゃんがストレスをためないようにする事。デリーケートなペットちゃん。甘えん坊が多いから、大変。ペットちゃんが喜んでくれるように、遊んであげる託児所は、ジョンの家の発展に、信用にかかわる大事な仕事。ペットホテルはまずは泊まってくれるペットちゃんがお客だから「寂しがらせない、怖がらせない、退屈させない、怪我をさせない」弁天荘直営店の信頼を大切に、励んで行きたいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。

 なにはともあれ、皆様も(ペットちゃん達も)ご健康で、ペットの居る生活をエンジョイしてくださいませ。動物の命は短くあっという間です。どうか大切なペットちゃんとの、楽しい思い出を沢山作ってくださいませ。お気軽に飛騨の旅お出かけください。山も、川も、空気もとてもきれいです。そしてなによりも、飛騨人の心は純朴で優しい。食べ物も美味しいですよ。ふるさとに帰ってくるみたいに、ぜひ今年もおいでくださいね。
ではどちら様も、お目にかかる日まで、ご機嫌よろしゅう。お元気で。
かしこ

        平成16年2月23日     女 将:森 和歌子