女将の心   2009年

主人の居なくなった生活にもなんとなく慣れてきて、写真と会話するそんな日々になってきた。
年取ってから遠距離手のおつき合いの果てに、覚悟して大人の結婚をしたつもりだった。
ところが宿屋を手分けしてやっていくなどということは出来ず、彼は「少年のような心か」復活。ぐうたら横になっているどころか、目を輝かして朝早くからせっせと畑の草むしり。夕方日が暮れるまであっちへ行ったりこっちへ着たり。麦藁帽子に首にタオル。
それは紛れもないどこから見てもお百姓さんでした。

私はそうゆう人と一緒になりたかったのではなかったのに。
三つ揃えのスーツが似合う優しい街の男。

お互い、いろいろ言っても、食い違うことが多く。
好きなことをさせておくことが一番平穏無事。
そんな主人との結婚暮らしですが、猫や犬達には二人とも気が合いました。

私としてはどう見ても果樹の幼木をあちこちに植えてみたり、思いつくまま手に入るままに家庭菜園のように野菜の苗を植えつけたりするのが、とても気に入らないことでした。

農家に育った私としては、そもそも畳の畳数でいえば20畳足らずのところに
朝つき。にら。イチ。ゴ。レタス。えんどう。はたまたエニシダやレンギョウ。の苗まで。きゅうりはその辺を生えずっており、何でもかんでもといった感じで小さな畑にこめているのが、いつも口けんかの元でした。

「お前の街から連れてきた男は、家庭菜園のような畑で、好きなことをしておる。農業が好きなら、すぐそばにまとまった土地が1ヘクタールあるのだから。田んぼでも畑でも専門にやればいいのに。ままごとみたいなことして。」と父からはいやみを言われる始末。

旅館が忙しくて、食事時以外は顔も見ない日すらありました。
こうして彼が遺影の人となってからこそ、やっと私のほうだけを見ていてくれるのかもしれません。
ペットと泊まれる旅館は掃除との格闘で、手間のかかる仕事です。

一人暮らしもそれほど寂しくありません。
もっとも旅館という仕事を持っているのだから、それなりにシーズンは来るし忙しいものなのですが。
ここは先祖代々の土地、昔からあるところで暮らしています。
私は2人兄弟で、病気になり、年取っていくばかりの父や母を置いて、逃げていきそこなったので、流れのままにここに住み続けています。

弟夫婦が学校の先生で、この家とは少しはなれた、勤務する学校の近くの町で暮らしています。
頑固な父と弟は、男同士の親子喧嘩。
その、とばっちりで、二人兄弟の私はいつの間にか「跡取り娘」の宿命を背負わされてしまいました。
年もとるし、お互い子供じゃないし。
「とりあえず結婚してみますか。」なんて感じで。
私と清さんの結婚生活が始まりました。
10年一緒に暮らせたでしょうか。

本当は年をとってからこその寄り添う夫婦でありたかったのに。
突然の「くも膜下出血」6ヶ月の手術を伴う入院。
そして波が引くように静かに夜中に旅立って逝きました。

何はともあれ安らかに成仏してくれればと願っています。


 平成21年5月11日
旅館弁天荘 女将 森和歌子