女将の心   2010年

ある日。玄関を開けたら箱に入った猫が捨ててあった。5匹もまだ目は開いていない。
誰が、こんな事するのだろう。
ジョンの家の玄関は猫捨て場ではないのに。
動物を捨てたら法律で罰せられること。知らないのだろうか。
仕方ないので飼うことにした。
子猫をほしいという人が居たのであげた。
かわいそうだったから、手に抱えたままでは逃がしてしまいそうなのでケージに入れて渡した。
「ケージが不要になったら返してね」といったが、ケージはいまだに返してもらえない。
もう、とっくに大きくなったことだろうに。
時々人間のことが信じられなくなる。
猫も犬もみんな命を持つ動物で、人間の子供達がかわいいように、動物だって同じだと思う。

残された4匹の猫達はあっという間に4キロくらいの重さになった。
餌も良く食べ便も良くする。
じゃれる姿はかわいいが、大きくなるにつれ費用が増す。
快食快便とはこのことだ。
世話をするものがとても大変で猫のうんちはくさくてたまらない。
通常の猫ケージを2台連結して合わせ。
大型マンションにした。今の法律では家の中で育てなければならない。
放し飼いの生み放題。自由出産はいけないのだ。
ときおり、ねこひろばにだしてあそばせてやる。
私の趣味は大変。1ヘクタール以上の種代。農園を維持する人件費。農機具の燃料代。
8匹の猫たちの餌代。砂代。その世話をする係りの人件費。
道楽かとも笑われるが、売り上げのない日にも、餌代を確保する。猫砂の代金を確保する。
小さな費用とはいえど。現実は毎日との戦いのようなやりくりが続く。
毎日変わらぬ愛情で、継続飼育していくことは、生と死の境を、握っていることなのだ。

地球上の生き物のリーダーシップをとっているのが、人間であるのだから。
人間という種族の誰かが責任を全うしなければならないわけだ。
たいそうな理論を繰り広げ、私のお小遣いがみんな猫たちの費用に消えてしまうことを、納得するより仕方ない。

餌をもらって育った人間の愛情に触れた動物は、野に放しても飢えてのたれ死ぬだけなのだ。
野に生きる自然界の動物は、野で死んでゆく短い命の中にも、たくましく生きる動物たちのおきてがあり、
野生に生きる動物の縮図がある。
軽率に人間が手を差し伸べるのなら、最後まで全うしなければならない。

よそ様の玄関先に猫を置き去りにしてきたらどうなるのだろう。
信じられないようなことを平気でする人が居る。
すてられた仔たちはごみではない。小さな命なのだ。
「かわいそうだ」と思ったら、かかわった人が、最後までかかわらなければ、それが愛情だと思う。
見ているのがつらく心が痛むから、目の届かぬところに移動する。
やっている本人は気がつかないのかもしれないが、犯罪なのだと思う。

犬猫にかかわる仕事しているのだから、きっと何とかしてくれるだろうと思う軽率な考え方は、偽善者であり。
まして黙ってよそのうちの玄関に置き去りにするなんて、まったくけしからん考え方だ。

動物愛護法によると、れっきとした犯罪で、目も開かぬうちに母親から離してしまい、ダンボールに入れて運び出すなどという行為は動物虐待なのだ。
動物に関するちゃんとした教育を、小学校あたりからしていくべきなのかも知れない。

「そんな子猫を拾ってきたって家では飼えないのよ。」
親に言われて「猫捨て犯罪」の手先となるのが子供たちではかわいそすぎる。

田舎でもしゃれた猫や、今風の流行の犬たちをペットショップで、買い求める人が多くなってきた。
飼う以上子供のおもちゃではないのだかから。
責任を持って天寿を全うするまで育て共存してもらいたいものだと思う。
年老いた父も父のそばに居る白黒の猫「ミー子」も、共にすっかり年老いてしまった。

しかし互いが寄り添い支えあっている。セラピーキャットとでもいうのだろうか。


 2010年4月11日
旅館弁天荘 女将 森和歌子